妥協なき商魂?

そも私の生家は東京神田旅籠町(現在の千代田区外神田)だが、ものごごろついた時には御茶ノ水の国道17号線沿いの東京医科歯科大学の真向かいにある家業の第二営業部の二階に居た。 

両親は近在の秋葉原で家庭用電化製品の量販店を営んでおり、冷蔵庫をはじめ洗濯機、テレビ、ラジオ、電球など売っていたことから、これらの家庭用電化製品はすべて家に揃っており、夏はエアコン、冬はこたつに至るまで生活家電のすべてが商売モンで、その後現れた全自動洗濯機、カラーテレビ、電子レンジなど当時の先端家電はいち早く導入され、家電製品には事欠かない生活をしていた。 近所の人々からは屋号で呼ばれ、なにかにつけ寄付や人手を頼まれる。 おそらく少なくとも町会内では格段に裕福な家庭であったのだと思う。

今でもゲーセンとして総武線の線路ぎわに残る祖父の建てたビル

そんな家庭の長男として生まれ、一時は秋葉原の三女傑の一人として数えられた祖母からおまえは将来その屋号の三代目として家業を継ぐのだから早くから商売の仕方を学ばねばならないと幼い頃から擦り込まれつつ育ったものである。 それはもう、好むと好まざるに関わらずのしかかってくる運命の様なもので、子供ながら自身の将来の選択の自由を束縛されている様でいたたまれない日々であったが、子供の頃の家族からの教えというものは、学校など第三者からもらう一般的な知識とは異なり、とにかく抗し難い。

本当にいやだなあと思いつつも、今でもとにかく商売というものを目の当たりにするとその業界構わず業態分析をする癖はその頃から芽生えたのだと思う。

さて、私はこの9月に65歳の誕生日を迎えるので、身の回りのものを少しずつ整理を始めようと書類引き出しをかき回していたらとても懐かしい包装紙の柄が目に入った。 それは小さなステッカーなどを入れる袋の形をしており、おそらく店の従業員が包装紙を切って手作りでそのサイズの製品がきっちり納まる様な規格で作ったと思われる手製の袋である。 しかし袋の完成度は異様に高い。

袋には白と黒のシンプルな配色で画翠レモンという文字がデザインモチーフとロゴの両方で刻まれている。 それもそのはずこの画材具店は御茶ノ水駅の真上にあるが、おそらくデザイン業界人や絵描きからしたら知る人ぞ知る店なのである。  私は約20年程前に方南町近くに引っ越してから御茶ノ水界隈にはとんとご無沙汰なのでまだ存在するのかどうか自体怪しいと思い、ウェブで検索したところこの店はまだ忽然としてある。

ご存知の方には説明不要と思われるが、当時この店は確か1階と地下階が画材具売り場で二階は喫茶店。 地上二階地下一階の建物は、木質の床などを除きすべてモノトーンで構成されていた。 つまり、壁は真っ黒。 当時少年だった私からするとなんともグロテスクな大人の店である。

この店に最初に行ったのはいつ頃だろうか? 確か小学生の時、夏休みの図画工作の宿題のために幅広の筆や塗料が必要となり、母に連れられて店を訪れた記憶がうっすらとある。 母は九段の共立女子学園に通っていたことがあり、その際通学路であった神保町や御茶ノ水界隈の店々には精通しており、また絵心のある人だったので当時としてはかなり風変わりなこの店を知っていたのだと思う。

それから中学、高校、大学と一貫教育のエスカレーターに乗った私は事あるごとにこの店を訪れ、普通の学生なら使いそうもない画材具やデザイン用具の数々(エアブラシ、ペーパーセメント、インスタントレタリング、スクリーントーンなど)に触れて漫画やデザインの世界に引きずり込まれて行く様になった。 この店の先取性は確かで色インクの先駆として有名な英国ブランド”ウィンザー&ニュートン”や建築図面を引く際に多用されるドイツブランドの”ステッドラー”と”ロットリング”などもこの店はいち早く直輸入しており、それら専門的な道具類がその利用者に与える影響は少なく無いと私は思う。

現在は当時喫茶部門だった飲食業は別の場所にトラットリアとして引き継がれ元の画材具だけの店になっている模様だが、この創業者のエッセイを読むとその創業精神は戦前から脈々と続く非芸術家による芸術家への支援に根ざしており、その製品選びには全くもって妥協がない。 また、使い方を説明できない製品は扱わないという、以後東急ハンズなどのコトモノ業態へも受け継がれていく職人気質に根ざした商魂に基づくマーチャンダイジング方法がなんとも心地よい。

こういうこだわりの店は広域化や多角化を避けてあるべきままの姿で今後も残って欲しいと心から願うものである。

2024年 9月

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